dorayakiBlog

~絵や興味ある事について書いてます~

手に入れたいもの

芸術や哲学などと同じく、絵にもたった一つの完全な双つ無き答えというものは出す事はできない。内部存在である、人の短い時間において、より大きい存在である宇宙や自然という時間軸の中にいる身分として回答は出し得ない。世界に対する、これらの分野の行動は問いという性質を持つ。

その問いの求めるところが何なのか、完全な一つの答えを定義する事は出来ない。それをするのは世界や時代や宇宙などの超自然なのだろう。
しかしだからこそ終わらない豊穣な泉のようなリソース、源泉になる。
絵画は問いである、と言われる。
問いであるなら、たった一つの完全な答えは無いにしても、可能性を持った自分なりの(またはその社会などの共同体の)解は見つかるはずである、複数に分岐して複数の面からの視点を持つ解が。
たった一つの完全な答えはない、人間が出せる物として、この種の問いでは。
おそらく真理という、より上位の絶対的な真実はあるが、人の領域ではそれは俯瞰できない。
ただその深い深淵に触れて感じるのみである。その深淵という真理?は内部存在である、人も共有している。
世界の存在の根源の意味についての、紡がれてきた問い、確実に存在するその未来の存在の可能性などが、凝縮された球もしくは天地を貫き伸びる円柱の芯に手を入れるかの様に触れるイメージで私たちの感覚の中を貫いている。

表現するとは、最終的には個人の感情や思想の表出ではなく、そこを超えてつかんだ、その世界の深淵を現出させる事だと考える。
そして日々その実験・実証を各人の各々の理論をもってしているのだろう。
深淵を感じる事は絵や哲学や音楽などの色々なルートで到達できる。
それらの作品からも可能だ。
きっとそれらがなくとも感覚するその人自身のみによっても可能だ。

人がいる意味や意義を問うならこの事を感じながら生きろ、という事なのだろう、
という問いを考えたい。

そんな深淵との接触を、製作の源泉にしたい。

ただ生きるのなら問題ない。しかし不合理なこういう行動や思考や感受をやめたなら、人は機械か動物のように生きられるのだろうが、それは世界を見て感じて考えたい自分にとっては、まっぴらごめんだ。
世界の不思議への問いと、その世界と一緒にいられる事への感謝の念を持ちつつ考える。

Name:ドラ焼き
今は油絵具でイラストを描いてます。webプログラミングもやってます。 このブログでは絵や興味ある事について書いてます。Twitterの@dorayakiArtに近作のイラストもアップしてます。
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