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人はAI(人工知能)に職を奪われるのか

AIに仕事を奪われるという言説が徐々に現実味を帯びてきたように思う。特に世の中が不況に襲われた状況だと人件費も払えないので加速してきている。AI化して人々は幸せになるようなしかしならないような気もする。一部の人は自分たちの領土から追い出されて、もう一度自分の領土を探さなければならないような。人々はどこから来てどこへ行くのかという言葉が浮かぶ。
コンピューターの計算能力で叶えられる作業は人にやって貰うのではなくコンピューターの自動処理つまりAIに置き換えようという事だろう。
プログラムされた行動群と膨大なデータベースからの条件付け・索引だけでも相当な作業を実現出来そうではある。

AIが感情を持ち自由に創造するようになるのは次かそのまた次の世代の課題になるのだろうが差し当たっては、人々の行動を利便化する為にそれに関わっていた人員を排除していく流れになっていく事が当面の問題になっていくのだろう。

今は誰も使わない言葉になってしまったがIT革命はまだこれからという事であろう。ITまたはAIも革命するが人もまたそれぞれ革命というか新たなる開拓を迫られているのだろう。

というのが思うところである。

絵に関してはデジタルを利用したアートもあるがアート及び絵画はまだかなり現物主義のアナログであるがイラストやデザインやアニメはほぼデジタル制作になった感がある。
塗りや線引きその複製や貼り付けその他の多種の作業をいくつかの操作だけである程度誰でも出来るようにし、センスや修練は必要ではあろうが技術の習得をより一般に近づけたと思う。カラオケが普及し一世代経って歌の上手い人が増えたような。

もうすでに欲しいイメージをいくつかのキーワードで入力すると絵を勝手に作ってくれる機能やアニメでキャラの動きの始めと終わりの間の絵を自動生成してくれる機能なんかの記事を見た事がある。なので近い未来には技術を習得していない人がセンスだけで高度な絵が描ける日も遠くないのだろう。頭の中のイメージを実現するツールとして。無人自動車とか作ってくる奴らなんだからそれくらいしてくるだろう、プログラマーってやつらは。

ただ人間の考えるアイデアみたいなものはその源泉、生み出す元は、多分偶然であって偶然でないどうやってそれをチョイスしてきたか説明出来ないような面白さを生み出す力はしばらく代替されないような気がしてる。そういうのはその人が生きてきた中で培ったその人独自の感覚で得てきた源泉から生まれるものだからか。それがセンスまたは感覚なのだろう。