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日本でアート(芸術)が生まれない理由

いや日本でもアートは生まれてはいる。作り手はいる。ただ社会でアートを祭る(祀る≠奉る?)気運が無い、ただそれだけなのだと考える。それは別に崇めろというわけではなく対する意識の違いだと。
高度経済成長を経てバブル期に高額で有名な絵画等の芸術を企業がこぞって購入したり2010年前後にも現代アートを所有しようというムーブメントはあったものの他所の国から上辺だけ輸入しただけの切り花文化とも評された様に一般生活に根付き浸透した様には見えない。
数字で経済的に見ても世界のアート市場において日本の市場のシェアは直近の2019年では世界で約7兆円のうち、
アメリカ 44%
イギリス 20%
中国 18%
フランス 7%
他諸外国合計 12%
情報元:文化庁文化審議会文化政策部会の資料より
で、日本はフランスに次いで2580億円の3.6%である。
5位で健闘しているとも言えるが落ち目とは言え曲がりなりにもGDP世界3位の経済大国の先進国にしては物足りないとはここ二、三十年ずっと言われている(特に日本の文化水準を考えるとこれはとても不思議な話でもあるわけで)。近年日本の市場も増加傾向にあるが経済力そして人口比率を加味してアメリカや中国に圧倒的な差を付けられているのは経済的バックグラウンドからの投機の場としても市場が出来上がってるとして分かるとしても経済力と人口数の日本より少ないイギリスやフランスにも差を付けられているのは伝統を積み重ねてきた文化の差と言って間違い無い。
造形的価値や投機的価値や歴史的価値も判断基準としてあるものの西洋ではアートと成る美の基準に革新性を重視する傾向にある。古くはルネサンスの文芸復興に始まり18-20世紀の西洋においては大々的に革命・革新を以って社会を更新してきた事に起因しアートにおいても従来の価値観を揺さ振り新たなものにしていく役割を課せられてきた面もある。革命・革新(の証)と言うとどこか過激な思想を思い起こさせるかもしれないがたんに自ら何かを新しい事を改める事をなし得るという自律性のある価値基準であり、昔からお上任せで今でも続く過度な同調性と世間の目を気にし過ぎる人任せの他律的な日本の国民性と社会には中々浸透しづらいのではと考える、他方において良い面はあるとしても。もちろん西洋の人が全てその様な価値観の持ち主とは限らないだろうが教育や文化的背景の中で多くの人々にアートの基準となる価値観の物差しが培われてきたのは間違いないのだろう。出る杭は打つではなく新しく素晴らしい事を打ち立てた事(考え方や価値観)を賞賛する文化という。逆に日本の様に例えば芸術に関心の無い社会ではアートを作っても外見の造形的にも内面のコンセプト的にも良い物を作ったとしてもただの"良い趣味"としてサブカルチャーの傍流として西洋ではハイ・アート=メインカルチャー=伝統というのとは別の流れの傍らに流さているのではないだろうか。いわんや中身が良くとも見た目が拙かったり醜悪なら尚の事。もちろん西洋でも"良い趣味"と判断される傾向はあるとしてもアートと成る基準の比率として従来の価値観の更新(アップデート)の重要性の占める割合が大きいが故に国内と世界ではそのギャップがまだまだ大きいので世界とりわけ欧米と異なり日本ではアートが生まれないというより陽の目を見ない事が多いのだと考える。素晴らしい作り手は沢山いるのに勿体ない事に。
近年のコロナ禍で予想される不況で今より低迷する可能性は高く、待っていても仕方ないので自律的に関係者は活動する必要に迫られるのどけども果たして。まずは人々の芸術的創作物に対しての意識の変革及びその意義と有用性を示す事が必要なのだろうかと考える。