西洋の写実的な古典絵画においては18世紀までは陰影の色には、顔料の種類の少なさや下描きや途中段階の中描きまではモノクロームの色の絵具を用いる伝統技法により、黒や茶・紫・緑系統の暗褐色を主に用いて表現されていた。19世紀フランスの印象派の絵画の時代には目覚ましい急速な科学の発展により発見・研究された光学理論や鮮やかな色彩の新色の絵具の開発によりそれまでとは一変して陰影に青や紫系統の色が多用される様になった。現代でも陰影における単調でない色彩豊かな色彩表現は絵画はもちろんイラストレーションやアニメーションや3DCGや写真・映画等のライティングなどその他多くのビジュアルでよく使用される。
とは言え、陰または影の色ははっきり言ってしまえばただ単純に青いだけではない。
各人の認識の仕方や物体が固有に持つ色や置かれる環境によっては陰影の色は冒頭で前述して様に色彩的には黒であったり紫または茶の褐色であったり灰色であったりもする。
ただ正確に言うならば、
青みを帯びる(事が多い)、
または、
青い光が反射されて陰影に反映されやすい、
というのが正しいと言える。
"陰"とは物体に付いて表れる暗部であり、"影"とは光が物体に遮られ他の面に落ちて(置かれた空間または他の物体に)表れる暗部である。基本的には陰は物体の固有色に基づく明度・彩度の落ちた色となり影は影が落ちた面の固有色に基づく明度・彩度の落ちた色となる。
色として見るならば、明度・彩度が低くなれば徐々に灰色みを増して暗くなり最終的には黒になる。なので陰影の色が黒や灰色や低彩度色の紫や茶褐色に見えるのも正しくもある。
ただ陰影とは固有の色彩があるのではなく光の欠乏により生じる闇であり闇が深くなっていく事で陰影(という光の欠乏による空間性)が生じていく事である。逆に言えば陰影の暗部が完全な闇でない限りは少なからず光が当たっていて光の色つまり色光がそこにはあると言える。
極論すると、単一光源からの光のみでは暗部に光が全く当たらず完成な闇になってしまう(宇宙空間や蝋燭でに照らされた闇夜等の様な)ので周囲からの反射光により暗部である陰影の面が照らされる事で物体のもう片方の一面として見る事が可能となるのを助ける。
そして周囲からの反射光が色のある光であると元々の固有色と相まって陰影に色が付く事になる。
この時に晴れた日の屋外や北側に窓のある屋内等では青空からの反射光が陰影側の面に降り注ぎ空の青が反映され陰影が青く見える。個人的にはこれに加えて、太陽光や電球の黄色みのある光に照らされた明部に対して心理的に補色(色相環上の反対に位置する色)である青色を残像として残す補色残像による対比効果で青色に見せる事を助けたり強調しているのではと考える。ただこういった青空における極めて小さい高分子の大気中の粒子が光の波長の内の青色の反射光を返すいわゆるレイリー散乱という現象は高山等の様な空気の澄んだ場所でないとさほど顕著には現れないとされるので陰影の色が青くなるというのはある程度特殊なケースかと考える。
例えば一般的に私たちがよく見る物の影は薄暗く沈んだ紫がかった暗灰色が主であろうし森の奥深くでは森を覆う木々の葉の緑が木の幹や地面に反映されるであろうし夕景であれば赤い波長の光を返す大気中の大きい分子や塵により起こされた燃える様な色彩に影響を受けるだろうし一般的に屋内では電球から発せられた光が壁に当たって陰影に反映されるだろうし常に高山の様ないわゆる澄んだ空気のある場所ばかりでは無いのだから一概に青になるというわけでも無い。
もし有彩色の反射光で陰影が色付く場合には周囲に色を持つ物体があるか空や壁や木々などの環境があるはずである。
他には、というかこれが一番多いとは思うが、反射光で色付く影響が少なく灰色か紫みを帯びた陰影になる場合はその反射光が持つ色(=色光)の波長の色分布に偏りが少ないもしくは均一な時に起こる。これは色光の波長の色分布に偏りが無く(=どの色にも突出しない事)各波長が最大の100%の時はRGBの光の三原色に代表される色光を混ぜるほど明るくなる加法混色の理論通り白い光になるが、色分布に偏りは無いが明るさは最大で無い場合には色彩的には色味の無い明るい灰色〜暗い灰色〜黒の反射光になり陰影が色付く影響を与える事は少ない。
とはいえ色光の波長の偏りが完全に均一になる事は自然界では少ないので何かしらその偏った色光の色に薄く色付く事が多い。