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一人遊び 孤独の才能

昔、人生の虚無期間を彷徨っていた頃があり、一定期間ニートというか無職になった事がある。(今も似た様なものか♪)
生活保護は受給した事は無いが。

最初は解放されて自由を楽しめるのだけど、徐々にする事にも飽きて、やる事が無くなる。

やる事が無くなる事ほど”慢性的な”つらさは無いだろう。(ぜいたくな言い分だとは分かりつつ)

これがけっこうつらい。仮に特別な事をして遊ぶにしても起きてる間ずっとそれを遊べるわけもなく、適当にだらだら過ごしていてもだんだんつらくなる。ふだん何かメインにやるべき事ややりたい事をしていてその合間でやるなら良い息抜きになるのだろうけど。人と遊ぶにしても友達や家族だって毎日毎回付き合ってくれるわけでもないだろうし。

やはり人生においては、何か主軸となる一貫した何かしらの、する事がないと人間は生きていけないと思う。下手したら人によると”いわゆる死に至る病”となりかねない。

まったく何もしない生活の中でもだらだらと満喫できるのも才能だなぁと思うし、何もしない生活の中でも何かしら面白い事を見つけて楽しめるのも才能だなと思う。

ただ、生活または人生において何かしたい、成したいと思うのもまた自然なのだと思う。それを行動のきっかけとしても良いのではないかと強く思う。どう生きるか、なぜ生きるかなどと考えてしまう生き物なのだから。

一人遊びという言葉があるが、何かしたいと強く思うときには、自分で遊びを作り出すように、したい事の実現に必要な事を考えるものなのではないかと思う、遊びや仕事などにかかわらず。いずれ誰かとそれを共有するようになるとしても、ゼロの段階では孤高にその思考を積み重ねていくものなのだと思う。

充実した生を送るためには一人遊びの才を磨く事が重要なのではないかと考える。