いちばん最初に書くべきはこれだろう。
絵で表現できない部分もあるから、というのが自分の結論。
自分の表現したい事ができるかどうかの性質の差にあると考える。しかし表現手段・探究手段としての「絵」は他のモノに変え難いという前提のもと考えてみる。
文字だけでなく絵画や音楽にも独自の言語体系の絵画言語、音楽言語がある。
「感覚に訴える」という事や、絵画などを理論化した批評、作品から読み取れる作者の思想・哲学・論理・技法論や、そのバックグラウンドなどが言語を作る。それらの独自言語も適用させれば、どんなものでもモチーフにする事は可能だ。しかし何でもできるは何にもできないの言葉のように、深化・特化させてこそだと考える。そしてそれを描く。描くに至らしめる理由・こだわりがあってこそ作者の特性をより強調際立たせる。もちろん自然体からにじみ出るものもある。しかしほんの少し核となる意図が技術や作品のなかにあっても良いのではないかと考える。それがテーマをというものか。
ただ野放図に描いても良い人生を生き切ったとするならそれもありで最高の絵描き人生だ。
しかし個人的にはこの世界に在りかつ含まれるこの探究手段を通じて、私たちやあらゆる物がここに在る理由の本質つまり根本的な「核」を、たぶん答えはこの宇宙の寿命からすると小さ過ぎてこの自分からは出せないだろうが、その核に触れひとつの作品として具現化できるとは考える。だから小さくとも核となるコンセプトを自分は考えてみたい。
(ピカソは何度も手段を変えたけど、自覚さえあればそれもスタイル。流転するおのれを写すのもまた一興なんてのもあり。変わらない彼の姿もまた感じる。まだ自分には隠れたテーマが見えてないだけかもしれないし)
なので、自分の表現手段や研究テーマはなるべくひとつふたつにしぼる。一点集中。でも、取り入れられるものは何でも吸収するしテーマに転化するのが良いのかと。やりたい事というか探究したい事が見つかれば、あとは目指したところへ向かって飛んでか、潜ってか、いろいろ突き進んでいけばいいと思うのです。
しかしであるならば絵など描かず、文筆活動か画家活動かにいそしめば良いように思う。しかし独自仕様に特化した絵画言語は自分にとって最高なのだけど、絵画以外の面で、日々において取りこぼすものもあると感じ、筆をとる、ならぬテキストエディタを起動してみました。
ITの進化、消費増税?等々なんかは絵にしようがなくはないけどむずかしい。それを絵にしてこそ絵描きという考え方もあるかもですが、自分は物の存在をテーマに絵を描きたい。が少し他にも気になることも出てきた。今になって。それらをモチーフにしたいと考えた時そのツールもしくは画材は文であり言葉でありなのかなぁ、と。絵でのテーマを絞り込めたのもある。個人的には絵には絵自身の事は語れないような気がする。それこそが絵の最大の長所でもあると考えている。絵の自律性をどう考えるかにもよるが。
とはいえゲームをやってるより生産的かと(自分の場合。でもそれはそれでその瞬間は楽しい)。趣味のひとつにも、タイピングの練習にも、作者と鑑賞者がつくるコミュニケーションである絵の上でも(どちらの立場になったそしてもそれは活きる)、伝えるという事の練習にもなりますし。
余談)
絵画言語を用いて絵画自身のファンを増やすことも大事です。とはいえ当たり前だけど文字言語のほうがユーザーのシェアが大きいですし、全ての人の共通言語である文字言語を用いることもきっとその助けになるでしょう。
音楽言語はそのへんのハードルが比較的低いように考える(そうじゃなかったらごめんなさい)。歌であればまず文字言語である歌詞でこころに訴えられるし、歌詞のないクラシックやインストゥルメンタルもメロディで作品の背景や音楽理論を知らなくても感覚の部分ですっと受け入れやすい。リズムだけでも感情をゆりうごかす。しかし文字言語との親和性はどうなのだろう?歌は見事にフィットしている。現代音楽は純粋性を目指してたりでその辺を排除してたりいろいろあるにせよ。小説と挿絵、絵本なども言葉と絵の競作が成立している。ただ絵画に文字はなかなか入れずらい。
絵は分からないからという人もいるけど、本来は絵画も感覚をもってすっと入れればいいんじゃないかと考える。知識をもって絵に接するのもおもしろいのだけど情報が少なくても素直に感じる感覚を楽しめばいいし、その絵の背景や作者の考えを創造すると知らない絵あっても楽しい。好き嫌いでもかまわないし、好悪は置いておいてなぜこの作品を作ったのだろうと想像してみたり。自分も意識すれば他ジャンルであってもそんな風に見れる。時もある。共鳴するような感覚を持てれば良いかなと考える。
そのうえで興味があれば、その作家の技法や背景、その理論なんか学べば自然とその世界に入っていけるんじゃないだろうか。でもなにかが邪魔してるような気がして。教育か、社会システムか、はたまた。
言葉で補完することも大事だし、言葉にしかできないこともあるし、まさに「言葉にできない」こともあるしそのへんの認識の区別をはっきりさせて、絵も日常も過ごせたら効率2分の一でなく2倍の相乗効果になるんじゃないかな。絵画ライフにおいても、他の分野でも。自然言語もプログラミング言語も絵画言語も音楽言語も、言語体系は偉大な発明で遺産だと強く実感しました。
というわけでちょろちょろ更新しますので、よろしくお願いします。