それは大きな流れを細かいリズムで書くようにする事。
普段の生活だとそれが生業でもないかぎり個人的な文章を書く事はない。それでも十数個の文を書いてみた。今のところテーマについてはストックがたまるほど浮かぶ。構成も決めておいたテンプレートを臨機応変に使えばまとめられる。そして特に気をつけたいと思ったのは、リズムについてである。
ビジネス等の公の文書においては、意識しなくとも伝える必要のある事柄だけを簡潔にまとめる。ひととおりのリズムは生まれる。事務的そして機械的に。
ただ、感情が絡むとそうもいかない。
実生活の文章で言えば、日記が感情が露わになる最たるものだと考える。手紙や作文は相手が存在するので日記よりは抑えめになる。
インターネット媒体で言うと、企業や技術系を除く個人のホームページやブログ・SNSなどがある。そこでの相手の存在に対する意識は人それぞれだが個人のみの日記ほどの感情の表出はない。しかしそれらインターネット媒体においても論文のように客観的事実に基づいて見解を述べる事もあるが、わざわざサイトを立ててまで伝えたい事があるのだから個人の想いや感情がからむのは当然だ。むしろそれがある程度許される場所だと思う。
日記と営業報告の違いは、業務と私事という表面的な違いこそあるが、感情の表出にある。
営業報告で感情表現していたら主観が事実を遠ざける事もある。まず読みづらい。
かと言って、
日記でその日の事実だけを事務的に箇条書き、というのも記録・ログを残す意味では有意義ではある。しかしもし、同じ場所や事や物を共有した人がいればいるほど、その事実のログだけでは、その人らしさが中々見えてこない。書体にもその人が表れるが、それにおいてもその人間がどう関わるかなのだ。書体を選ぶ動機やそれを用いて表すモチーフへの対し方など。同じ何かを経験しても、何を感じ何を思い何を考えたか、こそがその人自身なのだから。だから事実の記録だけでは味気ない。そのときこそ主観が大切だ。
しかし主観的になるならば、ひとつの文つまり句点までが長くなりがちだ。そして読点で過剰に繋げ長くしてしまう。それは書きながらゼロから考えるからだ。文全体の構成にも言える。仕事の報告や小説や論文でないのだからある程度の構成は決めておいて、完全に下書きそれから清書、まではしなくても良いと思う。ほんの少しゼロから主観を遊ばせる余地を残しておくと良い。
全体の大きな段落の構成と流れを決め、
主観を入れるスペース、
客観で固める部分、
を決めてテーマと想いを流し込むくらいの比率が人間味のある文になるのではないか。徹頭徹尾に一貫した論理も素晴らしいが固すぎでは読みづらい。ゆるゆるでも細くひとつしっかり芯が通るくらいがちょうど良い。でなければいずれ機械に奪われる。そういう人間にしかできない仕事でないならば。データを並べるだけでなくそこから新たな解を導く右脳的な。
段落の間隔を改行で空けるのも読みやすくリズムを作る。
そして内容が充分固めまった上で、リズムと文字による音を作る。
文を読んだ際の響き、韻のような。俳句の語感のような。
まず文を短めに切る。句点がテンポを作る。読点も効果的だが続くと文の容量が大きくなる。そして長文になると処理が遅れがちになる。なので文に対して脳が短い処理で済まさられる様に短く切ると読みやすい。文の流れをメロディーとするなら短い文の集まりは細かいビートになる。やり方によってはロックと民謡くらい差が出る。
(近年の人気の曲は緩やかなメロディーでかつリズムが速い。)
そうする事で、書き手も書きたい事をしっかりした型に想いを乗せて分かりやすく書け、読み手においても長文でもリズムをもってすらすら読める。
昔ブログを書いて挫折したのは、この事が分かってなかったからだと思う。
上手いひとのブログやプロの文章は流れが途切れる事が少ない。
それは話の流れの進め方とリズムにあると自分は考えている。
意味をもって短く文を切る、
大きい一つの流れの中で短い文のリズムでビートを刻む、
文を良く伝える方法のひとつとして実現したい。
まだ書き始めて日も浅いので、気づいたらまた文の書き方について書きたい。
修練あるのみ!
頭と心も使いつつ!