何か技能を極めようと思った時はスランプの壁に当たる事がある。その時は目指す目標の最終地点や節目となるいくつかの通過地点などの方向性を確認する事が大切だ。同時に細かい差異を見つけ楽しみながらその地点を目指す事も大切だ。一流になるほどその技能に対しての大局を見渡す目と一回一回のもしくはひとつひとつの動作の差異の細かさや深さを見通す感覚が出来上がる。
大きな目標の設定と細かい差異の発見は技能を楽しむ重要な要因となる。そして技能の継続の要因ともなる。
前回の「マチエールの属性を考える」のような妄想気味な設定を真面目に考える。しかしこのようなイメージの意味付けは技能の動作において技の正確な位置付けをより正確に体と脳に記憶させ定着させる。何よりこのような細かい設定を考えるとその技能自体が楽しくなってくる。モチベーションが上がる。モチベーションの保持は声援などの外部からの要因もあるが、こういった自分で火を着けるような内部要因は永続的でその技能の核となるのでより重要だ。どんな技能にしろ自身で新たに段階設定していかなければやる事は尽きてしまうように見える性質がある。だから自分で設定する、という事が大切なのは自明だ。
マニアとおたくの違いは自己満足して停滞するか、より上を目指しその途中を楽しむかにあると考える。もちろん意識しなくともマニュアルや指導などである程度には上達する。しかし上達への意識が必要になる地点は何度でもやってくる。その時に大きな方向性の設定や細かい差異の発見が助けになり重要だ。しかしその点においては大部分の人がマニアと言えるとは思う。楽しくて熱中していると追求してしまうものだ。世間に流布されているイメージのおたくと真のおたくの違いはその辺りにある。ネイルアートだろうがフィギュアだろうが関係なく。そのとき世間の誰かに測られる基準ではなく、自身や師匠となる人や憧れる世界観が示す基準を物差しにするのが良いと考える。快楽に溺れる自己満足に陥るでもなく、世間の目や流行に流されるでもなく自分の物差しを持つ為に。マーケティングが必要とされそうな事でも無視して唯我独尊に事を行うほうが逆にマーケティングを作り突き抜けそうな傾向が近年多いと思う。もちろん真にマーケティングが必要な事は視野に入れましょう。
自己満足に陥ると新鮮さを失い劣化し澱みが溜まる。それを防ぐにはより良い上を目指す姿勢が大切だ。 人により上が何かは違うので追求するという言葉がふさわしいと考える。意識的に停滞を自然体としてそれを追求する事に真を見出すならそれも良いと考える。自然体によるアップデートというか。
しかし追求は決して苦行でなく 楽しい事でもある。楽しいで語弊があれば嬉しいと言い換えられる。強制されるでなくやってしまう。熱中してしまう。
技能における小さな、しかし重要なツボとなる差異の発見の数々は、大きな方向性・目標である最終地点への旅路の最高のスパイスとなるから。
仕事もそうなのだろうが、技という点においてはその設定が大切だ。
というわけで今日も妄想に走ろう!