試行錯誤して時間を掛けた学びこそがその人の核たる技術や思想や信念や考えを作る。痛い目にあうと、より深く刻まれる。
とは言え現代社会はスピードも要求する。その時は素早く学ぶ方法を学ぶ必要がある。
ではどうするか、
それは公式を知る事だ。
原理とも言える。何か一つ学ぼうとしてもおおよそ膨大なボリュームを持つ。時間が掛けられるならば時間を掛けて学んでも良いのだが、人の一生とまでいかなくとも忙しい社会人生活では時間が足りない学びもあるので、実践から入るのも手だ。
もちろん順序や手順が重要な学びもある。知らないだけで無意味とも思える所作にも凝縮された先人の知恵がある。だが変化の激しい時代には身軽にかつ本質を一点突く技も重要だ。考え方における量より質だ。時代のトレンドも読む必要はあるが、出来るだけ変わらない応用の効く、むしろそれだけでも支えになる原理が良い。
基礎をもとに新しく応用を生みだせれば良い。しかしそればかりでは難しく効率も悪い。なので先例を参考にしつつ、基礎をベースに考える癖は身につけておきたい。
絵で言うならば、表層的にはデッサンや色彩感覚や絵に対する見識だろうか。突き詰めるならば感じるセンスを、つまり感覚を捉える力だと考える。それは誰もが持ち、どこまでも深くする事ができると考える。
その原理を最深部まで追求しつつ、最終的にはそれ以外を網羅するほどの学びの継続性は必要だ。欠けた部分は必要になった時に学び直せば良い。そのとき身にならなかった事も血肉となる。その学習コストは実践や深く考えた事から得るものを差し引けば割に合わない事もない。
とりあえずやってみるとはそういう事だと考える。
だから始めるその時は闇雲に始めず、その学ぶ対象の最も中心の核となる動作の原理から始める。
そうすれば動作のもととなるエンジンがあるので、最低限の習熟度は必要にせよ、その学びが小さくとも動く。つまり実行できる。形にする事が出来る、まずはそこから始めたい。育てながら学びを形にするイメージである。
学校の教科でいえば、暗記をして回答するのでなく、既にある原理や公式や発見をきっかけに回答する教科だ。数学がそうで国語や社会科がそうでない、という事ではない。どの教科も両面を併せ持つ。単一の式や問いから機械的に答えるのでなく、回答から式を作り出したり、多様なバリエーションの複数回答を生み出したり、前提すら壊して回答してしまう創造性も今は必要とされている。実社会が追いついていない面もあるが。本来は学問はその形であって現在の試験制度に主を置いた教育ではないという事だと考える。もちろん暗記による知識の積み重ねは大切だ。しかしそれは極端に言えばデータベースだけ巨大になり、それを演算するCPUだけ処理の追いつかないスペックのままという事だ。活かせるだけのCPUを育てる必要がある。CPUとなる知恵がデータベースの知識に負けないように知識を積み重ねたい。そしてできれば知識よりも知恵を駆使したい。
もし現在日本の産業などが世界に遅れをとっているのだとしたら、今現在ITやスポーツやカルチャー等の隆盛を誇るジャンルが含む野生的な柔軟さや好奇心を持つ創造性が画一化された回答法にすりかえられてしまったからではないだろうか。
とはいえ、自分も頭が固いほうなのでそこを脱する事がなかなかできないのだが。それが実行できる様なひるまぬ勇気と受け流し交わす柔軟さと精神的な打たれ強さがほしいものです。
全てを学んでから実行するのはパズルを完成させる事に似ている。
決まった枠の中で完成形を作る。完成して初めて形を枠内で作る事ができる。
スマートできれいな形になる。
アカデミックにも近い。
先人の残してくれた知恵である。
原理公式から始めて実行しながら付け足すように学ぶ事は粘土の塑像に似ている。
動機から始まり無限増殖していく。
いびつだがパワーがある。
ストリートで学んだ賢さのような。
これからを創る可能性を持つ。
時間を掛けられるなら本来は全てを学び、そこを起点に外部の異なる要素をつなぐように学び、そして結合させ拡大かつイノベーションできれば良い。とはいえ、全てを学ぶほうはいずれは学ぶ事がなくなる学びもある、もしくは臨界点がくる。そして外部に要素を求め肥大する。やがて原理となる本質が相対的に小さくなってしまう。だから学びの大小に関わらず核となる原理自身を深め強度を増し揺らぐことのない強固な芯にする必要がある。そうすれば学びが巨大になっても、または少ない学びでも実践に活かせる。
であるからこそ、動作のエンジンのその公式を考える事が重要だ。
となると結局、突き詰めてその原理や公式の次元を突き詰めていく事になる。奥が深いとはそうなっていく過程と考える。
そのときには動機が大切だ。何を付け足せば良いか、何が必要か、何をどのように深めるか、つまり何を求めるかを心の声を聞き考える事が重要だ。周囲の意見を聞くかも含めて判断する。
他の何を忘れても手に入れたその公式だけは忘れない、という事が重要だ。新たに検討したり再構築を考えたりも。
そうすれば例えば自身が巨大な戦艦になっても小さなイカダになってもパワフルに動かす事ができる様に学びを楽しめると考える。
そしてそれは拠り所に、つまり核になる。学びでも生きる上でも。例え何か色々な事を失ってもまたそこから始める事ができる。そういった公式があれば。
そしてそれはその人の哲学に昇華する。
自分に言いきかせるように、そんな事を考えている。