世の忙しい人たちと比べれば自分の忙しさは取るに足らないものだ。
とはいえ最近(というかいつもだが)身につけたい能力の学習や自身のやりたい事を実行もしくは考えている。何もないとしても何かないかとアイデア等を考える。
それ自体は楽しいのだが、いくつも重なってくると頭の中とスケジュールの上で並行処理つまりマルチタスク状態になる。タスクが簡単な事なら処理もすぐに済み、並行状態の要素も減っていく。
私事でいえば、ここ数年は絵の製作や練習やその他の知識の学習に加え、Webサイトの運営やWebデザインやプログラミングの学習そしてその製作をしている。すぐには済まない長期のタスクも発生してくる。プログラミングのさわりの入門書を読むだけでも一週間かかったり等々が他のタスクと重なってきたりする。自身のやりたい事なので楽しいは楽しい。とはいえタスクを細かく分け過ぎて混乱してしまう事もある。
スマートフォンのアプリを開きすぎるとメモリが不足して実行中のアプリが落ちやすくなるのに似ている。パソコンだと処理が遅くなりつつ止まったり落ちたりする。
このような事は分野は違えど世の人々も同じ状況、もしくは遥かそれ以上の多忙さなのだろうと推測するのは難しくない。
そういう時は小休止して気分転換するなりして、頭のメモリを解放してやると、頭の接続状態もリセットされて混乱も解消する。
だから単純に何もしないで休めば良い。
そう、それだけで良い。
しかし自分だけかもしれないが、切替が単にできないだけなのか貧乏性なのか休んでいてもいつの間にか何かやる事を考えてしまう。好きな事なだけに。やりたくない事なら意識せずとも進んで忘れる事が可能だ。一晩寝ればコロリと忘れる、それも困るといえば困るのだが。
事がうまく進んでいる時ならば、逆に仕事を加速させるので好都合。しかしスランプの時は堂々巡りで頭がショートする。その状態になると頭が働かなくなるので強制的に休んでしまう。無理矢理とはいえ何も考えられなくなる。擬似的に休んでいる状態になるので逆に、新しい発想や解決法を思いつく。
しかし何をやって良いのかすら思いつかない時はどうにもならない。ショートしようがない。アイデアという電熱すら通ってないのだから。しかし何かできないかと色々と可能性を考えるが、何も思いつかない。そんな悪循環になったら、という時。
そんな時こそ"何もしない"をする。
行き過ぎた頭の処理をスピードダウンして、実際に処理できる速度に戻す必要がある。そして、例えばチェーンが外れて空回りしている自転車のそのチェーンをタイヤにしっかりとはめてやる。
そのために車輪を止め、チェーンをはめる事のできる状態にする。
そして元に戻す。
つまり"何もしない"という事をする、それは休んでいても、何かをしなければという心のロックを外す事だ。
タスクを実行する頭のメモリの上限は人間の可能性として極限状態のレベルまで含めても相当なメモリ数になると考える。しかしそのキャパシティは無限ではないので、いずれは休ませる事になる。
意識せずとも食事や睡眠その他の際に少しずつリセットされてはいるだろう。しかし中長期で複数かつ難易度の高低入り混じったタスクが押し迫り混乱気味になった時は心のロックを意識的に外してやる必要があると考える。
正常に戻ったならば、徐々に整理を始め、再度取り組めば良いと考える。
できるならば、マルチタスクをさばける頭のメモリの容量を持てるようにしたい。極限状態とまで行かなくとも自分の中でテンションを上げる事で。
しかしそれとて限界があるので、タスクの統一による単純化なるべく一本化する事で力を分散させず一点に集められるようにしたい。
そして、心のロックを解除して過剰なマルチタスク状態によるメモリの使い過ぎをリセットしリフレッシュして次に挑めれば良いと考える。
しっかり休む事は大切で、心も体も頭脳もメンテナンスが大切だ。
人間は機械よりも、強くもあり弱くもある。