プログラミングの学習を始めて最初に前者のこの言葉を聞いて後者のこの言葉を連想した。この二つは言葉上の直訳の意味としては(英語+日本語)と(フランス語+日本語)なだけで同じで語感も似ているのだけど、とはいえ別ジャンルの言葉で全くイコールではない。後者は自分の造語だし。絵をやってる者としての先入観がこんな事を思わせた。とはいえ後者のこれは意味がないわけではないし考え方としても古くから洋の東西を問わずある(特に西洋)。
オブジェクト指向 - Wikipediaより -
オブジェクト指向(オブジェクトしこう)とは、オブジェクト同士の相互作用として、システムの振る舞いをとらえる考え方である。英語の object-oriented (直訳は、「対象物志向の」・「目的重視の」という意味の形容詞) の日本語訳である。オブジェクト指向の枠組みが持つ道具立ては、一般的で強力な記述能力を持つ。複雑なシステム記述、巨大なライブラリ(特に部品間で緊密で複雑な相互関係を持つもの)の記述においては、オブジェクト指向の考え方は必須である。
プログラミングにおいて煩雑になりやすい処理なんかをひとつの設計図とそれからなる部品・もの(オブジェクト)(それらの一つ以上複数から成るであろう)として扱い再度同じ記述をせず再利用などを可能にさせ効率化させる比較的近代的なかつ現在の特に中・大規模なプログラミングにおける主流の記述様式。詳しくはWikipediaなどで。
絵画の描き方の傾向としてよく二つに分類されるやり方がある。色か形かにならぶ対立の火種の一つになるような代物で。それは物を見て描くやり方と、想像で描くやり方だ。どちらが良いという事ではなく素晴らしい作品は、その美術史を見ても、どちらをもってしても制作されることは証明されている。それらを交えた中間的手法もあるしどちらかだけを極めることも可能。二項対立はどうかと思うのだけどわかりやすくその二極同士で考えると、想像の場合はイマジネーションが大きなよりどころとなるわけだが、物を見て書く場合はその対象が大きなよりどころとなる。ただ想像の場合は外部からヒントは得るにせよその核は自身の想像力にある。その逆に物を描く場合そのよりどころはむしろ自身よりも外部の対象にある。普段の修練をもっての技術も大切ではあるもののむしろ誠実に対象を信じて描く。そうする事によって描き手の力が120%引き出される。それを自分は「オブジェ指向」なんて思ってる。作為がない、というのか。人間よりも大きな自然が引き出してくれる力なのか。
自分は物を見ず描く場合もあるのだけど、あまりファンタジーめいた想像画は自分の志向としては好まず(他の人が描いたのを見るのは好き)、その自然に引き出される感覚を自分の中に再現して描くことを試みている。デッサン至上主義者というわけではないのだけど。ふだん視覚を通して、さらにはそこを超えてか含んでか感覚に届いている目には見えているのだけれど見えない感覚を描く。それはあの世とかの違う世界とかではなく現実の、世界の本質だと感じている。リアリズムの定義は人によって違ってくるのだけど、それこそが自分のリアリズムだ。