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絵の見方

絵の見方について考える。

絵の見方がわからないという声を聞く事がある。そのときの絵というのはたいてい美術館や画廊などの絵の事を言っていると判断する。デザインやイラストや漫画の事ではないだろう。漫画の絵や雑誌のイラストやプロダクトのデザイン等において分からないと悩む人はあまりお目にかからない。それらは自然に享受されている。なので、ここでは住居などの空間や美術館や画廊などで壁面展示される絵として考える。

絵の見方は一つに定義されてない、と言える。人により様々な見方が、その人と絵との間に生まれる。
それは人生において、この世界と接する時、接するその人の「人生」という独自の眼もしくはフィルターを通してこの世界を見る事により、この世界とその人との関係、つまりこの世界における人類のひとかけらであり二つとないピースであるその人独自の生涯が形成されていく。その事と同じだと考える。それは絵だけでなく他の全てに通じる。絵と絵を見るあなたとの関係が大切なのだと考える。
だから自由に鑑賞すれば良い。 とはいえ、そのように言ってしまうと身も蓋もない。

なので精神的な部分での見方は一つに定義できないにしても、物理的もしくは知識的な部分での見方を共通化できそうな見方で考えてみたい。その共通化した見方から各人の精神的な見方を形成すれば良いと考える。
とはいえそんなに小難しくはなく、主に二つ提案する。

①ひとつは、絵の時代背景を知って見る。
いわゆる美術の歴史の文脈を知る。美術史、加えて社会情勢などの全体の歴史。余計な先入観を持たないで見るのも大切だ。しかしそれで退屈になってしまうのなら本末転倒なので、事前に調べたり絵の注釈として館内に説明があればそれを読んでみる。仮にわからない絵であっても、どんな人物がどんな時代背景の中どんな気持ちで描いたのか等を考えてみる。

②ふたつ目は、距離で見方を変えて見る。
近距離、中距離、遠距離と。
約30cm〜1m四方の絵のならば、
およそ1.5mの立ち位置を正位置として見る。ここを中距離とする。
a.中距離では、絵描きが見る人を想定しメッセージの伝達のために設定した効果を楽しめる距離である。メインの距離でもある。
細部よりも全体のストーリー、構図、色彩調和、作者の意図などその作品のメッセージに集中してみる。 この距離で位置を変えず眼のズームアップとズームアウトだけで、大きく絵を俯瞰したり、細部に戻ったり。それを繰り返す。 作者と共に見る、創り上げる、音楽などのライブのような感覚である。
b.そして近距離では、タッチや絵具などの素材の扱いや細部の工夫などから、作者の息吹を感じる事ができる。約50cm〜1m。 細かい描き込みや筆と絵具のマチエールに圧倒されたりしてみる。タッチの激しい絵描きの絵ならば、より絵の前に立っていた彼、彼女がはっきりと今も見えるだろう。
c.遠距離では、作者の意図から始まる感覚的な作者との主観的な対話空間から離れ、客観的かつ冷静に知識などと照らし合わせながら、絵を、そしてそれを見た自分を分析してみる。他の絵と比較しつつ見ても面白い。約2m以上。

立ち位置のそれらを繰り返し、絵を味わう。そして同時に各立ち位置と前後するその時は周りに迷惑がかからない様に配慮する。一般的に立ち位置については、絵描きも近づいては描き込み、遠く離れては確認分析し、中距離では鑑賞者としての自分となりシミュレーションしながら描く。その事も鑑賞時に追体験のシミュレーションをしても面白い。

これらは見方のひとつなので、ぜひご自身で開発してみてください。楽しさがさらに広がると考えます。

加えて言えば、作者に直接作品のコンセプトを聞ければ、なお良い。これは古典の作品では味わえない、存命する作家の作品ならではのメリットである。

あまり混雑していない施設のほうが向いていると考える。絵と静かに向かいあうためには。

*展示物には触れないでくださいという施設も多いので気をつけて下さい、特に近距離では。
筆記具なども不可な施設もあるのが残念だが。特に日本は厳しいらしい。美術館などでは特に。どちらかというと教育よりも保管の観点で、という意味があるらしい。古典絵画の模写が不可なのはその点にあると聞く。

しかし、是非ともマナーとともにその施設の指示に従いつつ、楽しんで絵を見て欲しいと考えます。