私が、ではなく、人はなぜ絵を描くのかを考えてみる。
個々人の動機はそれぞれで定義は不可能なので、共通性の高い人間の生体的機能としての動機を考える。
個人としての意見だが、表現したいテーマやモチーフ以前に、
それは物や景色が見える、見えてしまうからと考える。
人はどんなに遠くを見る事が出来ても、自分の半径1.5m程しか触る事は出来ない。触る事でしか存在は実感として確認出来ない。後は信じる事しか出来ない。自身の存在は自分に触る事で確認できる。しかし、もしかしたら見えている物や景色は幻像でないとは言い切れない。とはいえ、見える物を全て触る訳にはいかないし触れる事の出来ない物もある。だから世界の存在を確認もしくは新しく知るために自分の手で描くのかもしれない。
そのとき見える物をただ写しているとは考えられない。その見える先に何も無いなら、あえて描く必要はないだろう。触れる物なら触れば確認出来るし、触れる事の出来ない物ならば誰かの解明した事実を信じれば良い。見えているそれが全てなのだから。見える物のその先に何か存在を感じるから描く。その先が幻想的なイメージなのか抽象的な要素なのかリアリズムなのかは、それぞれの絵描きによって異なると考える。
抽象画やイメージ画にしても、今までに目で見た物から着想は始まる。
印象派のモネが、赤ん坊がはじめて世界を見る時のように物や景色を見て絵を描けたら、木や空だとかいう先入観を持つ事なく、色と光としてだけとらえられるのに、という様な事を言ったらしい。
そのくらい人にとって視覚の意味は大きいと考える。
しかし眼が見えなくても絵を描く人は実際いる。
とすると見えるからという自分の説は成り立たない。
しかしもう少し突き詰めて説を掘り下げてみると、絵を描く事の根源は存在を確認するという意味を底に持つ、のだと考える。そこは両者とも共通と考える。
自分を含め、世界の存在を、
解明されない全ての存在を求めて。