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絵筆を腕の一部に

スティーブジョブズがiPhoneのプレゼンテーションで、
スタイラスペンでの操作をクールではないとして、スタイラスペンではなく、
人は生まれながらにして指という最高のデバイスを持っている、 という内容を言っていた。

この部分が印象に残っていて、

確かに手というのは目や皮膚や耳などと同様に情報を感じ取る感覚器官としても優れている。同時に手を使う作業での、出力のための器官としての精度も機械以上に繊細だ。

粘土による塑像や指で擦る木炭画やパステル画など、道具を使わず指や掌で直接触れる制作物は、機械による工業製品を手の感覚で千分の一mm単位での僅かな差を感じ取る事と同様に、僅かな凹凸や線の正確さなどの細かい差異を、眼で確認すると同時に、手や指の感覚で察知する事ができる。
同時に、ダイレクトに作品に触れているので、作品に対する思いや意図や念などを伝導させやすいのだろうか、とも考える事がある。

指はスマートフォンのポインティングデバイスとしても、何においても、
誰でも持っていて、
生まれたときから使い方に習熟している。だからこそ人の意図を伝導させやすい。

では筆はどうなのだろうか。

例えば、マウスやスタイラスペンと指、拳と剣、指と筆など、道具を使うか徒手空拳かについての対は多い。
素手が剣に勝つ事もある。 タッチパネルのフリック操作よりキーボードやマウスでの操作のほうが作業がはかどる事も多い。

手の枷となるか、手と同じ精度を持つか、それともさらに手よりも強力な増幅作用を付加するか。

もしも手にはできない動作を持つその何がしかのポインティングの為のデバイスを自分の身体の一部にできたなら、

手の精度と、手にはないそのデバイスの持つ新たな能力を自らの身体に宿すことができるだろう。

やはり剣でも拳でも筆でも何においても習熟が必要だ。自分の資質に合ったデバイスを選び、自身の一部に昇華させるが如くわがものとする必要がある。そしてそれは一生をかけて育てる事も可能だろう。

自身の指や手は、絵具や水を含めない。筆の穂先のように細くしたりばらばらに広げたりできない。

決して筆を、手が絵に直接触れない、手と絵の間にある障害物でなく、

持っている時、筆と腕と精神が一体化するような、身体の一部にしたいと考える。

もうひとつの最高の腕となるように。