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絵具の数 三原色で描く事

理論上では赤青黄の三色の絵具の混色で白を除く他の全ての色を作り、絵を描く事ができる。

色鉛筆と透明水彩絵具の場合は、白は必須ではない。

とはいえ、絵具において完全に純粋で中立な赤青黄色はない。その色の素である顔料がない。最も原色に近く調整された赤でも隣り合う赤紫か朱色かどちらか寄りの色になる。色相を数値化したその値もどちらかに寄る。赤や青でも絵具ごとに、明度も彩度もばらばらで、三原色として想定される色の明度や彩度の高さとは異なる。青も同様に。黄色が最もその偏りが少なく見える。
(それでも緑寄りと赤寄りはある)
いずれ絵具においても完全に純粋な赤青黄が発明されるのかもしれないが、天然の無機顔料には今まで無かったので、やはり人工的に造られる有機顔料になるだろう。

印刷においてはシアン、マゼンダ、イエローの三色とブラックの四色の吹きつけによる網点の点描に近い描画方法なので、絵具の混色よりは色の鮮やかさが失われない。絵具は混色するとその分彩度が落ちる。色を半透明に重ねて色を作ったり出来る点においても印刷は彩度を保つ。印刷は新印象派の点描よりもさらに細かい。人間の目に点描として認識できない小さい面積に点を並列させている。

絵具は多くの色を混ぜていくに従って彩度を落とし、鮮やかさを失ってゆく。特に全ての色相を円環上に並べた時、混色する片方の色の色相環上で隣りあう色から離れ、より遠くなる色を混ぜるならより彩度を落とす。
環の反対に位置する色である補色同士の混色で彩度がもっとも落ちて灰色になる。

例えば赤と青の混色でも、赤紫寄りの赤と青紫寄りの青ならより彩度を高く保つ紫になり、朱色寄りの赤と緑寄りの青同士ならそれぞれの色が含む環の正反対に位置する赤と緑の補色がぶつかり、悪く言えば濁りを起こし、良く言えば中間色となる。

なので、赤青黄色といっても様々な色味を持つので気をつけたい。

そもそも絵具には(色名としての)赤青などの概念としての色以外に、混色では作れない顔料特有の色もあるのだから、色々な顔料の絵具も使うべきではある。
赤でも透明な暗いもの、白を混ぜると鮮やかなピンクになるもの、不透明で活気に満ちた朱色がかった赤など。
例えば土の顔料による絵具は茶色であるのに、明るさと鮮やかさと深みと、気のせいかもしれないが温もりを持っていると感じる。

とはいえ、それでも極力少ない色の数で描いてみたい。

その点については個々人の考えや好みではあるし、
様々な色を使う楽しみや、多色の配色の技法の良さもある。
それらの良さを捨てても少ない色数で描く事は、色のパターンを使いこなす簡潔さや使用する絵具のコスト管理などをしやすい良さもあると同時に、複雑な中間色で描く絵画、特に写実絵画において配色の調和を計算しやすいと考える。

なぜなら、
色相を絞ったり、地色を塗ったり、基本色を統一すると、まとまりが得られる。
モノクロがその最たるものだ。
そのため有彩色で地塗りをしたり、ベースカラーを定めたりする。
画中に配する不調和な複数の配色において、
そのうちの一つの色を、
他の不調和な複数の色に混色するならば、
その混ぜた一つの色を共通の色としてその色を介し、
その配色群が調和すると、
色彩学者ジャッドの色彩調和論の四つの原理の一つの類似性の原理の用い方として述べている。 例えば黄と青より、黄と緑(青に黄を混色つまり緑)のほうが調和つまり目に馴染むのは、自然界の色で言えば木の葉の変化などに見られる自然の摂理としては当然なのだが、
絵においては調和不調和をバランス良く作る事も要素の一つなので、下地の地塗りや混色におけるメインカラーを定める事によって、物理的な絵具の混色においてもジャッドの理論は適用できる。

もちろんこの法則で全てをコントロールするわけではないものの、

絵具が多くなるほど、そのハンドリングは複雑になる。

画中に意図しない不調和のアクセントを生みやすいと考える。

色数が多くとも後で見直す事によりハンドリングさえできれば構わないが、少ない動作(容量=メモリ)で高速動作を目指すのもありだと思う。

であるので、
抑えた色数による方法と、意図した不調和な不協和音もアクセントとして使い、調和を作る。

三角形は構図においても完全な形を持つが、色相環上で等間隔かそれに準ずる間隔で選んだ三色をそれぞれを線で結んで三角形にすると、最低限の絵具の色数の構成としてまとまりやすい。

二色では濃淡のモノクロームになるので、
有彩色の絵を描くならば、その三角形の三色の色域を色相環上で何パターンか試し、自分のテーマに沿った独自のガマット(色域)をパレット上での構成の基本にすると良いと考える。
白と基本の三色に加えて、サポートする色を必要に応じて追加していけば、絵を描く多くの状況に対応できる。

白と同じく特殊な色でありかつ重要な色でもある、
黒について言えば、
明度の低い有彩色の補色同士の混色により作る事が可能だ。
正確には暗灰色が出来上がる。印刷で用いる三原色は明るい半透明色なので、別途黒を用いている。
絵具では明度の低い透明な赤青黄色があるのでそれを用いれば、黒と同程度の明度の暗灰色を作る事が出来る。特に青は低明度のウルトラマリンブルーやプルシャンブルーがあるので、彩度と明度を低下させた赤や黄色としてバーントシェンナやアンバーとの混色が適している。
そしてこの場合、描写上そして物理的な光の欠乏である暗部の色として、黒色というより闇を作っていると言うほうが適切だ。黒の擬似色は作れるが、彩度や透明感つまり深みが異なる。顔料の独特の色味も異なる。
この場合、色としての黒を描くのなら黒は必須だ。例えば、市松模様の黒い部分の柄やプロダクトの指定色としての色など、固有色として必要な場合。
暗部や黒い物体を描写する場合は、 光源や反射の光に影響され少なからず色味を持つので、必ずしも必須ではない。
使用は自由であるものの。
自然界に黒い色は存在しない、という有名な分析はもちろん正しい。
とはいえ、画中に色としての黒を導入したり、
印象派以前の古典的な絵画のテイストは興味深い。もちろん線画の線はやはり黒がしまる。


<自身のパレットの配色イメージ図>

そして私事で言えば、
微かに朱色寄りの赤、
ほんの微かに赤寄りの純粋な明るい黄、
やや緑寄りの青であるセルリアン青を用いる。
色相環上での三角形としては、
神秘的、幻想的、高貴、優美なイメージの紫から離れた、混色をしてもその紫に寄りづらい、上記の三色の配色イメージをパレット構成として、元気で活力を想起させる色を選択している。

他の、橙や緑や紫などの二次色、中間色や暗部の色は、混色や重色や色同士の対比効果で作っている。個人的には全色揃えるよりは効率が良く、機動力がある構成を好む。

色数制限は尖がった、特化した方法でもあるので、
一般的には、
基本を構成する数色と、サポートする数色の多くとも10色前後での構成がベストと考える。

それより少なくなっても多くする事は少ない。

とはいえ、他の色々な絵具や顔料の色同士の組合せは魅力的だ。

しかし、そればかりにとらわれていては絵を描く上で本末転倒である。

やはり野球やサッカーなどのスポーツのように実戦の中で、組み立てたピッチングの配球や戦術を実践するが如く、

絵の実践である画中全体の色や形による配置の構成を組むという事に、

その都度検討しベストと選択した絵具による配色構成という磨きあげた球速球種や練り上げた戦術のような技を活かしたい。

やはりすべては画中の配色の中で活きると考える。

そしてその準備も同じくらい大切だ。