何かをする時にはルールを受け入れる必要がある。
スポーツをする時、国などのコミュニティで生きる時、ゲームをする時でも商売でも、何でも。発生するその枠の制約を受ける。それがその面白さ、快適さ、やりがい等々を享受・創造・発見する為の必須とも言える良いスパイスになる。
神や自然や宇宙などの全ての始まりの起源以外のものは、たいていは何らかのルールで構成された枠内に存在する。
納得できる場合、納得せざるを得ない場合どちらもあるにせよ、そのルールがあるからこそ全ての世界は円滑に回っている。その制限が面白くもあり、新しい工夫も生まれる。
しかしそのルールが逆にプレイヤーを蹂躙する事もある。時代に追いついていけないルールの形骸化した部分が発生し、効果的なルールの範囲を狭め、促進を阻害する。
その範囲から外れた部分では事実上ルールの持つ意義が発揮されなくなる。
そんな時、逆にそんな時であるからかもしれないが、
(もしくは周囲が求めているのかもしれない)
ある分野のそのルールを変えさせてしまうほどの、ルールチェンジャーになれる天才もしくは実力者が現れる。彼彼女ならば、その分野にとどまりその分野を進歩させる事も可能だ。凡人でも努力の積み重ねで可能かもしれない。その分野が好きであるなら貫く価値は多いにある。
基本的にルールは関わる全ての利用者を考慮して作られるのが理想だが、ルールづくりに参画したルールメイカー側に有利に作られたルールもある。もちろんある勢力に偏ったルールはピラミッドやコミュニティの内外の味方と敵に対しての秩序や平和を維持する為に必要かもしれない、あくまで必要悪として。
しかしその場合ルールを作る側に参画するか追従するかしかなくなる。
スポーツにおいては、稀だが、ゲームのバランスが成り立たなくなるほどの実力者が現れてしまう事がある。そのときバランスを保つためにルールを追加したり変更する事がある。逸話としてしか聞かないので、スポーツにおいては、そんな天才は百年に一人いるかいないかだろうが。
その競技をより面白くするためゲームバランスを変更する事もある。
自身や自身のチームまたは自国に有利になるようルール変更も見受けられる。その意図は定かでなく各種の思惑もあるかもしれないが。
ルールチェンジャーになる対象がいてルールメイカーが動く場合と、
ルールメイカー自身が調整に動く場合が存在する。
絵を含む芸術は、いつの頃からかルールの変革の連続になって久しい。手仕事から頭脳の思索へと徐々に移行して現代にいたる。画風のスタイルに表れるイズム、主義がそのルールメイキングの定義付けの対象になる。
一人の革命的な芸術家がルールメイカーになり、ルールチェンジャーにもなる。批評家やキュレーターも近年その様相を呈してきたが。
ルールメイクする者が世界を制するというのは昔からの事だが、世界の情報がいつでもすぐに手に入るこの時代だからこそ、より顕在化し、ウィナーテイクスオールの言葉のように皆が、昔は軍事や外交などの国家間であったのが、今は民間の企業レベルで社会を巻き込んで、覇権争いの範囲が拡大し、大小各種の業界でルールメイキングやルールチェンジングが激化した今の時代を、その急激な芸術のイズムの変遷が予言していたかのように思える。
ビジネスにおいては、ある商品や規格を新たに作り出した時、新規の消費者にとってはその商品はルールを提供するルールメイカーになる。その商品やサービスを選択する事は、つまりルールも同時に選択する。
一般的には、使用方法や規約に従い利用する事になる。基本的に両者に利益のある取引が行われるのでゲームバランスとしては釣り合っている。
ただし同じ分野の他の商品の開発者と利用者にとっては、新規の画期的な新製品が発表された時、その新しい商品の提供者であるルールメイカーは、その分野のルールチェンジャーにもなる。
そして、その商品が業界内や他の分野の市場を巻き込んでシェアを伸ばせば、その影響を無視できなくなり、他社他業種の製品づくりにおいてもその画期的な新製品を考慮せざるを得なくなり、市場構成を激変させてしまうほどのルールチェンジャーになる。
その影響力が大きいほど、その一つの業界のプレイヤーにとどまらず、業界や市場をどんどん越えて、更に大きい枠組みのルールチェンジャーに、そしてやがてはルールメイカーになる。近年ではiPhoneなどのスマートフォンが代表的だろう。
それ以外にも世界はルールで満ちている。
芸能や政治や生活、生物の連鎖や宇宙の構成などなどの中に。
そこで変革を起こすには、
全てをひっくり返しほとんどゼロからルールを構築する
既存の巨大なルールメイカーと競合し得る新たなルールメイカーになるか、
ルールや他者さえ突き抜ける天才もしくは実力者、もしくは何らかの権限を握るキーパーソンであるルールチェンジャーになるしかなくなる。
しかしそれは並大抵のことではない。
であるなら、ルールで世界は満ちているのだから、
あえてルールから外れる。ルールを外す。
そして別のルールも視野に入れる。
そのジャンルのルール内で別のルールを独自に追加して適用する。
スポーツなどの競技では難しいが、ビジネスや芸術ではそれほど難しくなく珍しくはない。
ルールメイカーと違い、ゼロに近い状態からルールメイキングするのでなく、既にある他のルールを適用し既存のルールに融合し独自の領域を作ってしまう。
(無から有は中々作れないという意味ではルールメイカーも同じかもしれないが。)
そして、
ある分野の活動領域内にとどまり、独自のルールによる領域を作り、強みを発揮し、自身とその分野を活性化させるも良い。
ひいてはその分野内でルールをチェンジさせるほどに。
または、
外部にその独自のルールを適用させた分野を移植して、独自の新大陸を作るのも面白い。
ルールは人をしばるが、活かしもする。ルールは生活や仕事や競争を楽しむ為に多いに意義を持つ。が、絶対不変でもない。生もの以上に生ものだと考える。なので、よくよく観察する必要がある。
しかし外的要因による不満からくるルールメイキングやルールチェンジングするような、為にする論ではなく、
問題解決や実力を究める中で、内的動機から始まる自分なりのルールメイキング・ルールチェンジングならぬ、凡人にも可能な、既存のルールを適用・融合するルールエディティング(editing = 編集)から始める事を、まずは、はじめの一歩としたいと考えている。
絵以外の創造・製作全般に言える事ではあるが、
常に発想の源泉は外部から自身に取り込み昇華させて製作物として現すので、自身の独自のルールを触媒に外部の取り込んだ要素を、その要素のルールと自身のルールとに従い、創造の化学反応をさせる必要がある。
そのときこそは、自身の独自のルールの鍛錬と外部の要素とそのルールを観察する見方を持ち、自身と周囲にとって、適切な良い化学反応を起こす必要があると考える。
やはり、
ルールメイカーとしては、やりたい事をやるうちに、
ルールチェンジャーとしては、実力を発揮しているうちに、
という環境が理想だと考える。