生き方などの、ゴールや幸せの定型が完全に無くなった今の時代だから、
自分で新しい未来のビジョン思い描く力が必要だ。
リスクを取る世界にいるにせよ、手堅い世界にいるにせよ、
そこからさらに飛び立つには、
まだ無い道を、想い描かなければ、
道は作られない。
時間の流れの中の決まっている未来、つまり運命という定められたコースが無いとするなら、
未来は、
個人の単位にせよ、
人類の規模であるにせよ、
人々が想い描く方向へ引っ張られて行くように思える。
それこそが個人にとっても世界にとっても時代を進める鍵になると考える。
(成功と失敗と保留の三つのパターンになるにせよ歴史は一歩進む。人類や社会などの大きな単位では、集合知ならぬ集合思考という、個々の集まりによる単体の一つの意思になり歴史を押し進めるとイメージする。)
これを精神論や抽象論とは考えず、
もちろん個人や社会などの単位で人間にはどうしようもない事もあるが、
神という超自然的人格や、未来の歴史を定められた運命が存在しないとするなら、
人間を含む生物の考えや行動と、気候や大地の状態もっと大きく言えば宇宙などの自然の流れが
世界の時代を進める要素だと考えるのが自然だ、と思える。
言うまでもないが、だからこそ人間・人類・人々が未来を思慮する必要は多いにあると考える。
現状にとどまるという意味の「安定」を思い描く時、
生命や種の維持・保存の観点だけで言うなら、
今現在、安定の中に居るなら変化を求める必然性はなく、
安定の中に居なく
安定を目指す状態に居るならそこへ到達するまでは不安が続く。安定を求める事は安心になる事であるから。
もちろん安心は悪い事ではないが、長く続き過ぎれば悪い澱みも溜まるだろうし、人類の生きる力を湧き起こし奮い立たせる希望を起こす必要性を減らす。進化する必要性もないのだから。周りの環境が変わらないのなら良いかもしれない。そしてそれが良いか悪いかは人にもよる。もちろん戦争や災害などの最悪の不安定は回避したいが。
死語であり合理的な社会や現実的な人々には笑われるかもしれないが、
こんな今の時代だからこそ未来を想い描く、
つまり浪漫という、夢や目標を想い描く力が必要だ。
実現性や具体性を備えた、という条件はあるかもしれないが。しかしそれはその本人にしか見えないものかもしれない。
スティーブジョブズ氏の
"Think different. "
はこういう事なのだろう、と自分なりに解釈している。
動乱期のフィクション・ノンフィクションの話が面白いのは、きっと登場する人物たちの新しい世界を夢見る姿勢にあるのではないかと考える。
安定という安心の中で休む事も必要だが、
回復したらそののちは、
新しく面白いものを考える好奇心を持ち、思考し、行動したいと考える。
そして未来のビジョンを想い描くことを続けたい。
そしてまた、それは描きたい新しい絵を思い、考える事に似ていると考える。