伝記を読むと、自分以外の人生(の概要)を知る事ができる。
この事は有意義で、こういう人生もあるのだなぁ、と当然の事ではあるが自分以外のケースの人生を色々と知る事ができて、自身の人生も含め、人が生きるという事を改めて考え直す事ができる。
もちろん祖先や家族や友人の人生を知る事も有意義で良い事なのだが、なるべく環境の違う人の人生のほうが、自分の中での人生を考える為のライブラリが広がる。
多くの事例を知っていれば、
自身の人生で起こる色々な出来事に対応する為の許容量も広がる。体験に勝る物は無いが、知識としてあるだけでも考えるベースの大きさが違ってくる。
近くの人たちの人生とあわせて、遠くの人たちの人生も知る事ができればバランスが良い。
伝記になるような人物は天才と言われる人が多い。特殊な環境の人もいる。もちろん努力の人もいる。
色々な行動や業績などをもって偉人として記されている。
もちろんそれらを真似をするわけではないにしても、
その成功譚を鵜呑みにするばかりではいけない。一の成功の影には千の努力や失敗が付き物であるからだと考える。その偉人の業績は千の失敗の中の一つの成功かもしれない。その一人の成功者の影に他の傷つき道半ばで倒れていった数百数千の人たちもいる。そういう二つの意味を持つ。前者の場合、天才という人たちには当てはまらないかもしれないが、その才能が故に苦難と戦うケースも多いように見える。
そういう意味では、
生の声を聞けるというメリットはあるものの現在存命中の旬な成功者よりも、
既に亡くなっている人物のほうが良いと考える。
良い所ばかりクローズアップされていないという事と、すでに多くの歴史家に色々な角度の視点から研究されている、という点において。
伝記は成功部分だけでなく、その人生の最初から最後までの全体を見ているのでその良い所と悪い所の両極を平等に見る事と、
複数の多方面からの研究による客観的な評価による見方、
それらから一人の総括した人生の一端を知る事ができる。
とはいえ、未だ知られない書かれない想いや感情を読み取る想像力と分析力は必要かもしれないが。
その人の人生の山と谷と
そしてそれに向かい合いその結果導き出したその人の答えつまりその人の生ききった証をその人の完結した人生もしくはその最後期を通して読み取れるように考える。
それが全てではないにしてもその足跡から考えさせられる事はとても大きい。
先天的な資質や後天的な環境などを含め全く同じ風に真似は出来ないし、
新しい時代を切り開こうとする人ならばむしろする必要もないが、
根本の考え方や、至る動機や、独自のものの見方や、苦難に対するその人の向き合い方などは、
参考にして目を向け倣いたいと考えてしまう。
個人的には必然、画家の人生に興味が向いてしまう。
他に音楽家や作家や彫刻家などの創作家はとりわけ作品という鏡を通して特に強く、社会的な成功とは他に、個々に異なる彼ら独自の大切な哲学をその生涯の中で見つめ、生き、そしてその生涯を閉じていっているように思えてならない。
尊敬されうる偉大なる画家は必ずしも成功者ではない、というケースも多い。まだ誰にも気づかれなかった発見への無理解からそうなったのだろうか。
それが、成功の物語と言うより、どこか人生のリアルさと淡々とした無常のような感慨を感じてしまう。
成功する事と己を貫く事は必ずしも一致しないからなのだろうか、と考えてしまう。