なぜ絵を描くのかを再考してみる。
これだけメディアが発達してなぜこの最古のメディアはなくならないのか。古代においては洞窟壁画だが、中世から近代西洋では祭壇画や聖像画からはじまり歴史画やら風景画やら肖像画に至るまで社会においてメディアだった。日本においても江戸時代前後に浮世絵などは大衆におけるメディアだった。おそらく大和の時代くらいもしくはさらにそれ以前から朝廷や武家社会における障壁画や襖絵もメディアだったに違いない。単なる伝達に終わらない性質の。
二十世紀に入りフランスからアメリカにアートシーンの中心が移ってメディアとしての性質に変化を見せたがそれでもその本質は変わらないと信じている。
物をよく見て描く時に改めてその物の全体や細部が分かりそして初めてそれを見るかのごとく見えてくる。そのように、
世界を再度改めて感じる為に描くのではないかと考えている。
自分が生きるこの世界を感じた時に改めて生の実感を感じるからこそ描くのだろう。
音楽やスポーツやその他のいろいろな仕事にもそのような、時が止まるような感覚の中に、見えてくる「もの」がある、ZONE(ゾーン)的な要素がある。それは自己満足の快楽とは永遠性と真理への深淵に触れるという点で全く異なると考える(もちろん快楽も好きだけど)。成長があり確実に精神に刻まれる。
絵を見る時にもその息吹を感じ触れる事ができる。人間は食べるためのみに生きるにあらずだろう。だから人が生き続けて行く為に根源的なこういう問いはこれからも続いていくと考える。芸術は人間の本質を伝えるメディアのひとつである事は間違いないだろう。
だから描く事はもちろんその鑑賞もなくならないと
自分はそう考える。考えてみると自明の事だが。
しかし今の世の中はいろいろなものが表現の方法になり得る。本当に色々ある。
だから自分には「それ」をもって何が出来るだろうと考える。
そう考えると心が踊ってくる!