絵には、ある一つの両極がある。
色々な極はあるのだが。
A.必要なところを中心に見た目さらりと描くやり方と、
B.ミリ単位まで細かく描く方法がある。
一つの尺度として、だいたいの絵はこの間に位置する。
どちらもそれを見る眼(もしくはイメージする力)が必要だが、
Aは余計な付着物をまとわない、その対象の本質を抜き出し描画する。
描き過ぎて絵を殺さないよう、その本質をギリギリのタイミングで見極める必要がある。
それはスポーツのような経験と練習に裏付けられた勝負時における瞬間のセンスが問われるように考えられる。
Bは何時間もしくは何十時間と穴があく程に見て描いてを繰り返す。神は細部に宿るというが、その領域まで行くならこれもまた真実にたどり着けるのだろう。
こちらも描き過ぎて絵を殺さないように注意する必要はあるものの。生命の時が止まったような死んだ絵ではなく、生命の鼓動が感じられるような活きた絵にしたい、絵という静止したメディアにおいても。
このふたつを両極に、どのくらいのバランスの位置のどこが良い、という事はない。絵が良くなれば、どこの位置でも問題ない。
どちらにするにせよ、近年の色々なメディアの画像や映像に侵された脳ひいてはそこに繋がる眼を、人間の原初の状態に戻す必要がある。
考える眼に、感じる眼に。
絵が持つリアリティを描く為には。