dorayakiBlog

絵を描く私の個人的な理由を再考

ここ最近しばらく自分の描きたい事・もの、ついてはやりたい事を改めて考えていた。
それは何なのかと色々な考えで複雑化した頭の中を整理していくと、
それはこの世界の今を生き、
聞いて見て予測して知り感じるこの世界の遠い未知なる場所や過去未来を含め、
自身の感じる本質を、つまりこの世界や、身近に言えばこの生活の中にある実感をとらえたいと考えている。
それは例えば世界の存在の理由とか等のように抽象的で概念的で科学的に解明する事が難しい事かもしれないが、確実に存在するものであり、きっと私たちがこの世界に具現化する事でしか見る・聞く・感じる事ができないものかもしれない。
そういったところには、もしかしたら自然的もしくは神的な大きな力が働いているのかもしれないし、または機械的にシステマティックに動いてそして在るだけかもしれないが、ただ理由付けをしたいが為に人類は哲学や芸術や思想などでそれらの探索に没頭してきたとも思えない。きっとその先に何か本質があるように思える。例えそれが0や無というものであっても。そしてその0や無の在る意味にも本質というエネルギーのようなものがある。
しかしそれは意識的にしろ無意識的にしろ誰もが感じ、常に触れている。
そういうものやこと、つまりその実感をとらえたい。
そういう空気、もしくは空気感だったら読んでみたい。
ただそれは、
変わらない本質は、 矛盾しているが時代により変化する、 というよりは変わらない部分を含みつつ成長して生まれ変わっていっているように考える。
そこを絵というものは、
つかんではっきりと明示していかなければならない。今を生きる者として。他の探求する全ての分野においてもそうかもしれないが。

他の事を考えてみても結局こういうところに行き着いてしまう。

これで結論ではなく、さらにアップデートしていきたいと考える。
根本の大元の考えや理由は見失わない、忘れずに。