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スキューアモーフィズムとフラットデザイン

一、二年前からパソコンやスマートフォンなどのユーザーインターフェイスまわり全般のデザインが、スキューアモーフィズムからフラットデザインへとシフトし始め、いまや完全に移行した感がある。

スキューアモーフィズムとは、立体感や質感を強調し、ユーザーインターフェイスなどのパーツやその全体のデザインを、よりリアルに本物のように見せるデザインの様式である。
Macintoshに始まる(始祖ではないが)、直感的な分かりやすいグラフィックによるユーザーインターフェイスの頃から、フォルダなどのアイコンやウィンドウはそのようなスキューアモーフィズムの要素を性質上からか少々持っていたし、他の個人や企業の開発したパーツとしては立体感を強調した物もあったが、やはりiPhoneなどのスマートフォンのアプリや操作画面などのユーザーインターフェイスで決定的に市民権を得た様に思える。

そしてフラットデザインとは、スキューアモーフィズムとは正反対に立体感も質感も無くし、平たい平面構成で図や形象を表す。
立体感が強調されたスキューアモーフィズムの後に出てきただけに、その平面さがより強調され、あっさり感、言い換えるならばスマートさを演出する。
平面的なデザインはアナログでもデジタルでも古くからあり、初期・中期のパソコンやゲームや携帯電話用のWebサイト・Webサービス上でもフラットなデザインという物は部分的にはあった。とはいえ、それはドット絵などに代表される、2D表現の技術的な限界によるものだ。しかしそれは初期の、現在と比較すると低性能のハードの時代の話で、ハードの進化により2D表現は3Dに迫りもしくは超え、代え難いものに現在進行形でなり続けてはいる。
ただ改めてフラットデザインとしてスキューアモーフィズム後に洗練され世に出てきた最初のものは、Windows8のデスクトップ画面が印象に強く残る。

初期のスマートフォンは、前時代の携帯電話とのグラフィック・機能性などの表現の力の違いを見せつけ、スキューアモーフィズムの様式がそれに一役買ったと考える。
近年では、スマートフォンがスタンダードになりはじめ、フラットデザインによりスタイリッシュに洗練され、そのデザインが想起させる使いやすさのイメージと共に、その普及を助け、更なる一般化に一役買うのではないかと考える。

とはいえ、
スキューアモーフィズムもリアルな描写技術を必要とし、
フラットデザインも、スキューアモーフィズムとは逆にシンプルかつ少ない要素で機能性や象徴性などを構成そして表現する必要がある。
どちらも違う種類の難しさと面白さを持つ。

しかしこういったデザインは移り変わり流れていく。
なのでフラットデザインがいったん出尽くしたら、もしくは人々が飽きたら?、上回るスキューアモーフィズムなどの様式のデザインが現れたら、かどうかは分からないがスキューアモーフィズムがまた再度復権するかもしれない。
またはスキューアモーフィズムが凸的であったので、凹的なへこんだデザインがWebデザインでは流行るかもしれないという説もある様な無い様な。

すべてのデザインは移り変わり流れる。求められる機能性は当然その時代において変わる。ブランドイメージを訴求するようなビジュアル面においても。古くからブランドアイデンティティを持つ老舗のブランドイメージの様なデザインにおいても核の部分は変わらないにしても。
そして何クールか置いて回帰する。
しかし、それは前回とは違う進化を含んだ新しい形と意味合いを持って私たちの前にその姿を現す。

人間性の破壊や、機械に仕事を奪われたり、核に滅亡させられたりが文明の進化のネガティブだとも考えられるが、
ポジティブに考えるならば、
そのようなデザインの進化にも、
ただ円周上を回っているのではない、未来へ進む時間軸の進行方向に螺旋を上って行っているような感覚が様式(スタイル)の妙であり文明の確実なる進歩の一端なのかな、とも私は考える。