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「バルテュス 猫とアトリエ」を読んで

バルテュス氏は、
眠っているような、椅子やベッドに横たわる少女の印象的な絵が、とりわけ代表作として紹介される二十世紀画家の巨匠である。

他にも多くモチーフに猫が登場する。
本のタイトルに冠された「猫」と「アトリエ」を中心に、バルテュス夫人のド・ローラ節子さんの語り口で文章は進む。
各文章の節ごとに、バルテュス氏の作品、若かりし頃から晩年の氏の姿、氏の住まいやアトリエや製作の道具など生活の様子、氏と夫人の仲睦まじい様子などが、写真と文章により、バルテュス氏の絵画人生を伝えてくれる。
氏を他の誰よりも最も知る夫人だからこそなのだろうし、
そして客観的には氏以上に氏を知っている夫人だからこそ良く伝えてくれるのだろうなと感じた。

B5判ほどのサイズと氏の作品の写真もあいまって、読んでいて、まるで画集や伝記というより、とても幻想的な絵本の語り聞かせを、活字で読んでいるかのように錯覚してしまった。

氏は、概念や形式としての美や芸術よりも、絵そのものを愛して描き続けたのだな、と恐縮ではあるが私には読めた。
アートよりも先にまず絵ありきと考える自身にとっては深く共感共鳴する部分が多かった。
はたして、氏は自身の絵というものを貫けたのだろうか、最期には何を思い、何に到達したのか、と思わず尋ねたくなってしまった。

タイトルに冠されている猫、そして裸婦や少女の作品によく登場する窓のカーテンを威勢良く開ける女性?は、脇役でありながらシンボリックなモチーフのようであり、氏の言葉にできない想いを言葉にする分身のように私には思えた。
実際のところは本人のみぞ知るところなのだが、
しかしそこを鑑賞者が独自に、
観て、解釈して、感じる事こそが その絵ひいてはその画家との触れ合いになると考える。画家によってはそういう出会いになる事を望む人も多い、その反対に構築した世界や理論を味わって欲しいという人もいるが、どちらが良いというわけではないがバルテュス氏は前者のように文章からは読める。
観る立場としては積極的に自発的に前者の立場から入りたいと個人的には考える。その絵や画家の予備知識を持っておくかどうかにかかわらず。
そしてその後に画家の思考の軌跡を再トレースする等して、その理論を味わいたいと個人的には考える。

存命ならば作者本人にもいずれその作品についての解説を聞く事も良いが、まずは自身の感性で全身を持って相対したい、自身の感性を育み絵と、そしてその作者と会話できるようになる為に。

その読み解く力、感じ受け止め吸収する力こそが、絵を見る喜びとなる。

と、この著書を読みそして考え、
あらぬ方向へ深読みしてしまった次第である。