Google検索の表示結果がアルゴリズムのアップデートを重ねて日付の新しさとそして検索語句と被検索内容のマッチングの重要視に最近さらにシフトしている傾向を見る。
(昔は通販サイトが上位を占めていたのに。)
検索結果を見ていると、内容のマッチングで言えば精度の更なる向上。以前は全く的外れな検索結果もあったのに。日付で言えば既存の分野の事であってもある程度の頻度で話題にされている種類の内容であれば、ほとんど一年から二年以内の日付の結果が上位にくるように見える。
新しい情報に価値がある。大半の情報についてはそうだろうと同意で、場所を調べて行ってみたら店舗や社屋が無かったとか、話題の新製品・新サービスなどの情報の価値の基準はまずは速報性とより高い精度の正確さにあり、その後により近い関連性のあるトピックスがさらに続けばより良い。
新しい情報へのシフトはスマートデバイスの普及やそれらへのGoogleのシフトも影響している。Google自身も表明しているし、Googleの強力な収入源でもある広告提供サービスでも各デバイスの設定にパソコンや他にタブレットやスマートフォンの項目があり、パソコンとスマートデバイスの用途に差がある事からそれら各々の設定が設けられ今も最適化が進んでいる事が証明している。
スマートデバイスの普及の余地はまだ多いにあるので、最も検索され得る情報の一つでもある店舗や企業の場所やその営業時間帯など屋外から検索され得る可能性のある情報の用途の特性とそれらの情報のユーザーの多さから、さらに検索上において重要視かつ増加・台頭が予想される。それらは常に更新されていないと意味がないので即効性のある新しい情報が上位に来てかつ増えるのも自然である。当のGoogleもユーザーのさらなる利便性向上を目指しているのだから自然な帰結だ。
今現在において古くもなく新しくもないその中間の情報群は、最新の情報に劣るものの即効性のある幅広い範囲で有効な情報であり、知の蓄積であるデータベースの一部としての両側面を感じる。
それらの情報が被リンク数の多さや使い古されない高い価値によって、知識・知恵に純化され知のデータベースに沈下し蓄積される。
新しい情報も価値はあるが、時期が過ぎてそれらはどこへ行くのだろう。文学や絵画のように時の選別というふるいにかけられていくのだろうか。その時代時代を紡いだピースとしてひそかに漂いふとした拍子に参照されるのだろうか。
鮮度という見方で、その価値を失う期間の幅とその古びる比率は情報の種類で各々違いかつ古典があるという事を考えるとその期間は広すぎる。一度腐っても蘇る可能性のある事を考えると情報は食品と比べられない。古いから価値がある事もある。
情報は世界の表面を駆け巡る電気信号のようだ。知識さらに知恵はそれを支える制御系システムをイメージする。さらに下層に思想や哲学・宗教が動作するイメージで。
絵画造形は近い未来も見据えて作られるが遠い未来も見据えて作られる。物性上の数百年規模の耐久性もさることながら、本質を持つという普遍性が時代を超えて伝え得るシンボルとなる。
最近のよく飛び交っている情報は即効性はあるが瞬間的な情報も多いので、未来のグランドデザインを描く情報に出会いたい。おそらく絶対数は少なく、自身の感度を上げていないと見つけられない。それは書や物の思想や人や自然、そしてそれらに対する見方に潜んでいそうだ。
即効性のある情報も必要だが、 人類や社会の知のデータベースにインデックスされるような、 いつの時代の人が見ても参考にできるような絵を描きたい。絵も文も。
被リンクもひとつの指標ではあるけどマイナーでも貴重なサイトもあるので、普遍性というその辺も検索アルゴリズムのインデックスされる基準として反映されて欲しいと願う。
よく本質をこそ観察しトレンドのキーワードは気にせずかつあえて外し何が自分の虎穴か見極めよう。
だがそれでも即効性のある情報には助けられてしまう。