「ポワンティエ」は絵画の一技法として存在するわけだが、単に彩色の数ある方法の中の一技法というだけではなく、物の見え方の根本を成している。
(でなければ、ただ点が打たれただけになる。点描とは分けて考えたい、分割筆触の究極の最小としての点描、使用する上でただの点描とポワンティエはお互いを含むにしても)
それは光のつまり私達の網膜に映る像の全てである。(線や形や動勢(ムーヴマン)や骨格や物の存在性なども絵の像を成す要素としてあるという考えはひとまず置いておくとして。)
ポワンティエは金属などに見られる星のようにキラリときらめく小さい点の輝きとして代表的な作品では描かれているが、その点の輝きと光の集まり具合(凝集)を弱めればいわゆる普通の光沢となりごく一般的な物質の反射になる。つまりその光の構造は通常の物の明るい面となり、暗い面へと繋がり一つの物体の明暗を成す。
当然ではあるが、画面に対して面積の小さい形状の物に発生する。
ポワンティエを単純にグレースケールの色面で分割すると下の様な構造になる。
色の境界で端が同じ色面なのに暗くなるマッハバンド現象が起きてしまい、単純な分割では実感しづらいので、色面をある程度なめらかなグラデーションで繋ぐ。
光を実感するために一旦前段階に戻り、色を伴わせてみる。
そして分割でなく自然な光のつながりとしてグラデーションで繋げてみる。
まずは点を置く背景。
光は闇の中でこそ輝く。
ある程度、打つ点の色より暗い
中・低明度の背景で。
そして点を置く。
最も光る明るい色を点で置く前に、それより少しだけ暗い二番目に明るい色を挟むと、より光が繋がる。加えて背景の色より色相環上で少しだけ黄色側に寄らせた色にすると、自然な色の繋がりを生む。
そして光る点となる。
上の例は単純なものだが、
ここで気をつける事は、光の中に色を意識する事である。
鮮やかな色の強い光を反射する物体の場合は、上記の青のグラデーションの様に、連続する虹のスペクトルを伴わせ明暗で光を繋げば良い。
ナチュラルハーモニーのごとく、
葉の明るい黄色から青みを増しながら暗い影の緑になるように。
りんごの明るい黄みがかった明部から徐々に固有色の赤に近づきやがて紫みを帯びるように。
そして葉のきらめきやりんごの丸みのハイライトが白く光輝くがごとく。
しかし世の中の大抵の物は、中間色からグレーつまり灰色に近い物が多い。
とはいえ、灰色に見える物でも完全に灰色の物はほとんど存在しない。
私達が現実で物を見るとき、物体からの反射する色光の加法混色で作られるグレーは赤青緑の三原色の光の重なりで作られ、100%である白色より光が弱い時にグレーになる。100%は三分割出来ないので必ず少なからず混ぜる色光の赤青緑どれかに偏りが生まれる。人間に見分けがつかないほど小数点以下で差が無くなればグレーになる事になるが、ほとんどの灰色と括られる物体は各色光の分布のバランスに大きい偏りがあり、同時に人間の目はその色の偏りを見分けてしまう。灰色と言っても何らかの色味を感じる事のできる物体も多いだろう。
灰色を描けて画家は一人前だとセザンヌも言ったとか。
であるから、単純な明暗だけの絵具で実現しようとする上の様な全くのグレースケールのポワンティエでは光を充分に表せない。
どんなに、白から灰色そして黒へ、に見える光から暗部にかけてのポワンティエにおいても光の偏り、つまりそこにある色を意識しないとポワンティエは表現できない。
そしてそれは全ての物においても。
光の中に色を意識する事が大切だと考える。
注ぐ飲み物のしずくやお針子の針刺しの針も、
きらめく星の輝きや空に舞う光る花びらも
きっと描ける。
そう考える。
※)付け加えると、
形で言うと、
点は光の一般的な形状である円にしたほうがよい。
しかし複数の点が近接している場合は、光の点同士がお互い溶け合うように形を変えて繋がり合う光の性質を持つ。