それは一体どこから発生するのか、と考えてみた。
今もこの「イノベーション」という言葉は、どの世界においても求められてやまない。(特にその実利を求める業界においては)
本来の意味はともかく、最近の社会一般で使用されている「画期的」で「状況を好転」させ、まあこれは次いであれば良いのだけど「わくわくさせる面白みのある」というような意味あいを持ついわゆる「イノベーション」というマジックワードは、多くの様々な分野で頻繁に使用されしかし一部歪められて、もはや使い尽くされた感がある。リーマンショックの頃から消費税増税後の現在までの日本からは少しだけそれを求める活気が世間からは徐々に減ってきてるような気もする。
タイトルの、イノベーションはどこにあるのかだが、それが生まれそうな環境を考えてみると、心から応援してくれる愛好者は除くものの社会や世間の注目が集まっている場所からは無難な改良はあるにしても、人々を仰天させるような転換点となるような「もの」や「こと」は出づらいのかなと考える。もちろん悪行・悪業などでなく良い意味での。
そういう点では、余計な邪念というか思惑がない分だけ、一般のユーザーに最も近いであろう感覚も備えたあまり目の向いていない興したばかりのガレージ企業や落ち目または斜陽の会社などの起死回生の一手から出やすいのだろう。いっけん邪念に見えるような純粋な欲望から起こる事もあろうけど。
ただそれらは外部からは、流れ星がいつどの方角の空に流れるか予測しようとするくらい難しいような気がする。
(ある程度は専門的に見れば予想できそうな点は似ているかもしれない)
だから、
享受するだけならともかく、
どこかで誰かによる革命を探したり待つのでなく、
もうただ単純に自ら、画期的という事よりも、熱意をかけられる面白い事や問題解決したい使命に取り組む事を優先に、強く激しく興味を持てるという意味でのおもしろいと思える「もの」や「こと」を考える事だけで、「イノベーション」的な何かを作り上げていけば良いのではと考えてしまう、呼び名云々はさておいて。
本当に面白かったり解決したい事ならば、さらに発展・進歩させようとするのは何事においても同じで。
そこにこそ「進化」は生まれると考える。
ここにイノベーションは生まれると考える。
マネタイズはまた別の後で考える話としてさて置き。
画期的な創造をしている人たちは、「画期的」とかそういう事を意識する以前に、元々そういう心持ちなのだろうけど。
その時はやはり、その夢中になる「こと」や「もの」は一般社会の監視の目の届かない場所で自由に育たなければならない、物理的というよりは精神的な意味において。むしろそういう場所のほうが育ちやすい。外からの、良い影響ならともかく、悪い欲望を含んだ思惑は本当の「イノベーション」のエッセンスを薄める。または毒抜きされてその絶対量を減らす。良薬は口に苦しで、毒こそがイノベーションなのだろうか。他者から外れる事が目的では無いにしても社会の思惑から良い意味で外れる必要はある。(思惑すら味方にできるしたたかさがあれば無敵だが)
そうでなければ規格外の面白みのある創造は作り出されないと考える。
仮に社会に受け入れられても、精神的に心の一部をどこか静かな別の場所へ自らで隔離するか、弾き返す強烈な信念や個性を持つ必要がある。または受け流す自然体のような。
そうする事で目指す、イノベーションの魅力、すなわち自身のやりたいと考えた事を純粋に保つ必要がある。
人目を忍びながらの少々の後ろめたさ(毒ではあるが良薬的毒と知りつつという意味で、もちろん悪行でなく)と新発見に心を躍らせる楽しさを持てるくらいの場所が、純粋に本当のイノベーションを育てられるのかもしれない。そういう場所にこそイノベーション(かもしれない)の種はある。
なぜか社会や世間や大衆が追えば追うほど逃げて行く。そんな点ではアートや芸術とも似ている。
などと考えてみた。