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なぜ浮世絵が西洋で流行ったのか

18世紀中期のフランスにおいて日本からの陶器等の輸入製品をパッキングの包み紙代わりに大量に刷られた浮世絵版画で包んでいたのを当時のフランスの著名な版画家が発見したという話が西洋での浮世絵ブームの発端としての話として有名である。江戸時代の鎖国の日本が貿易を認めていたオランダを介して開国以前から日本の品物が西洋に輸入されていた様で他にも作家、詩人、批評家、画家、愛好家等の人達により日本の品物が評価されパリでの万国博覧会を通じて芸術家を始め広く既知の物となった。

当時は浮世絵ブーム以前にオリエンタリズム(東方趣味)と呼ばれる東方への憧れと好奇が西洋にてフォーカスされていてトルコ等の中東さらには中国等の東アジアの輸入品や風俗が流行していたのも浮世絵に広く注目が集まった素地としてあったのではと考えられる。

日本ブームは日本趣味(ジャポニズム)と呼ばれ浮世絵に限らず日本の陶器や着物や家具や文化等が紹介され流行としてファッションやインテリア等が生活に取り入れられていた様である。西洋絵画においては画風を日本風に真似てみたり、画中画として壁に貼られた浮世絵を入れてみたり、モデルに髪型を真似させたり着物を着せたりしていた。

しかし当時の印象派の画家の先駆けであるマネや周辺の前衛的な芸術家そして後に印象派の画家達により外見的な上辺だけを真似る趣味としてでなく浮世絵の持つ当時の西洋絵画には無い絵画的な特性に注目しその本質を見抜き自身達の芸術に取り入れイズム(主義)の一つとして物珍しさでなく真の意味で浮世絵を取り入れ自家薬籠中の物に昇華させた。

18世紀当時のフランスの西洋絵画は古くから続く伝統を盲目的に教条とするアカデミー(美術学校)とサロン(官展)を支配し権威であったアカデミズムが統率する美術界によって描くテーマや対象に序列が定められ聖書や神話を主題とした歴史画がこそが絵画において最重要とされそこに登場する人間や擬人化した神や聖人そしてそのストーリーや教訓を如何に再現して描く事に重きが置かれていた。そんな中、当時の最先端を走る前衛芸術家達にとっては産業革命により生活形態や工業技術や科学・化学や主義・思想等の社会環境の発達した今を生きる人間の為の芸術としては相応しくないと感じていた。絵画自体も数百年前のルネサンス期の絵画と同じ様な新鮮味を感じられない、輪郭線の無い陰影による立体感を強調した陶器の様に滑らかな絵肌の一様な画風で、今生きている現実とは何ら関係無い盲目的に選ばれた似た様なテーマの絵ばかりで伝統が形骸化していた事、そして人間よりも正確に肖像や風景を写し出してしまう写真の登場により絵画の限界を感じ同時に新たな方向性を屋外写生や当時の最新の風俗を描く事や光学的理論である色彩分割を用いて新しい描写方法の開発等に模索し実践していた。

そこに日常の何気無い飾らない風俗や風景やそこに生きる庶民を西洋絵画ではあり得ないはっきりした黒い輪郭線で陰影の無い明るい平面的な色彩で半ばコミカルとも思える自由な構図で描く西洋の画家達にとって全く新しい絵画である浮世絵と出会う事によりそれまでの歴史的題材と光と闇の画法に支配されて暗い色彩や時代に合わないテーマに沈みかけていた絵画から今を生き生きと描き明るい鮮やかな色彩をぶつけ合う明るくまぶしい絵画へと西洋絵画を変容させ画家達の意識すらも変えてしまった。

そして西洋絵画は印象主義、後期印象主義、エコール・ド・パリ、フォービズム、キュビズム、シュールレアリズム、抽象画等へと古典絵画とは似ても似つかない絵画へと進む事になる事を考えると西洋における浮世絵の発見は近代美術における大転換であったのではと考えられる。