J・V・ゴッホ・ボンゲル編 硲 伊之助訳の岩波文庫版のゴッホの手紙(上)(中)(下)がある。(上)は若き画家エミール・ベルナールとの文通の内容で、(中)(下)は弟テオとの文通の内容であり、岩波文庫のこの書籍では文通相手のテオやベルナールの手紙は省かれていてゴッホが書いた手紙のみが読める(他の書籍ではテオの手紙も載せてある物もあったが)。ゴッホの手紙自体が単なる伝記や独白を超えた文学作品の様なものなので岩波版はゴッホの発言のみにフォーカスしたのかな、と読んでいて思えた。ゴッホが自分の作品や他の画家の作品を、特に褒める時に、言葉で色を手紙に紡いでいくさまが読者にきらびやかな絵画を想起させる様でその辺りが他の文学作品とは異なって独特な境地に至っている部分ではある。ゴッホの生涯の軌跡を知っていればその辺りを味わいやすいかもしれないので伝記の大まかな出来事は頭に入れておいた方が良いかと思う。
テオに宛てた手紙の中では製作中の油絵のスケッチや彼が使用していた絵具の取り寄せ催促の一覧なども書いてあり見る事が出来る。
ゴッホは遅く始めた絵画修行の初期は生まれ故郷のオランダやヨーロッパ各国の伝統的な絵画及びそれらの美術の師匠からそして精神的な面でキリスト教に絵を学んでいたが、芸術の最先端のフランスはパリに出て先端芸術のモードである印象派に触れその印象派の画家達の間で流行していた浮世絵に触れ、今まで暗く茶色に沈んだ絵画スタイルから一気に明るい色彩の色使いへと目覚め、宗教一辺倒から徐々に自然からも学ぶ様になっていく(その後南フランスのアルルへと向かい南仏の熱い太陽の陽光によるさらに明るい色彩に目覚めていく)。
手紙の中でゴッホは印象派を経て自分の絵を明るい鮮やかな色彩の浮世絵に近づけようと強く意識していたのが浮世絵や日本人絵師への賛辞や影響を受けた自然観等から読み取れる。主な印象派の画家達が明るい色彩を用いるのと同時に揮発性油で薄めて油分を少なくしてつやを消して絵を明るくしたと言われるのとは異なりゴッホ自身はたっぷりとした絵具で厚塗りした作品が多い。
ゴッホの絵は耐久性の観点から、他の絵画技術の解説書では他の印象派の絵より耐久性の面で持ちが良いのでゴッホは絵具に何か硬流体のメディウムも混ぜていたのでは?と書かれていたのを見た事がある。その辺は科学調査して貰わないと分からないけれど、厚塗りでも特に厚塗りの一気描きなら何もメディウムを混ぜない絵具で描いたとしても絵を支える土台となる油分は保たれ耐久性はある程度保証されるので、どちらとも言えないし芸術の観点ではまぁどちらでも構わないとは思う。
その点でゴッホは自分の死期を悟っていたのか、又は仕送りを受けるのが申し訳なくて早く絵が売れる様になる為に焦っていたのか、はたまた稲妻の如く速く描くと賛辞していた日本の絵師を見習ってなのか、油絵としては相当なスピードで描いていたのだから絵具にしっかりメディウムを練り込んでいたり揮発性油で溶いたりしている時間もそれほどにはなかったのだろう(速くその場の印象を描かなければいけない屋外写生なのも手伝って)。そして、揮発性油で溶いて油分を少なくしてつや消しにするというよりは、彼の描画速度がもたらす極度の厚塗りを以て、浮世絵の様に、アルルの陽光の様に、明るい色彩にする為に、原色に近い色を絵に用いたのではなかろうかと考える。
ここからは私見になりますが、ゴッホの絵がその後の世代の忠実な再現から離れて自身の表現を重視する表現派の原色を多用する絵画主義の野獣派フォービズムよりも若干淡めな色使いなのは、
なんだかんだ言っても現実主義の印象派であり半ば宗教的に熱狂した精神の目とで彼なりのあるがままの自然を直視していた彼が現実に見ていた強い光とその光が見せる色彩に忠実だったのと、浮世絵も鮮やかではあるが浮世絵の画材の性質上明るいつや消しな色彩であり混色用に鉛白が混ぜるのに丁度良いとの手紙の一文にもある様に、油絵でそれらを再現するのに、それ自身油分が少なくつやも消えやすく色の明度を上げられて加えてそのまま厚塗りも出来るのでそれこそ鉛白を混ぜていたのではと、ゴッホの手紙を読んでいてそんな風に考えてしまうのであります。